2009年 01月 22日
嫁坂越え |
わが愛する嫁坂は正式な地名としては地図には載っておりません。通称で嫁坂と言われています。古文書によるとこの地は熊本から鹿児島に至る古道、薩摩街道の峠があったところで、現在クロネコヤマトあたりに直径2メーター程の熊本県下でも銘木と言われた松の大木が蔭をなし、馬引きのひと達が休憩をし、その前には(ジュゲムらへん)甘酒いりの饅頭を売ってる茶店があったそうです。その峠をさす言葉が嫁坂でした。ここが薩摩街道と言う幹線道路であり参勤交代でも薩摩の殿様がこの坂を越えなければ江戸に辿りつけなかったように、多くの歴史上の人物もこの坂道を歩んでいます。篤姫(テレビでは船でしたが、実際は陸路)当然、嶋津斉彬、坂本竜馬、西南戦争時の薩軍、西郷隆盛もですね、/打ち上げも終わり友川さん一行とジョイフルまえのホテルに向かうみちすがら、一人感慨に浸っておりました。生前不遇であった山頭火もこの嫁坂を歩いて越え、そして時を経て、いままた火炎土器の文様を言語化し、ギターの音色と歌声に変えてしまったかのような孤高の表現者友川カズキが歩いている。最後の縄文びととも言うべき友川カズキが歩いて嫁坂を越えているのだと、今回のライブのおかげで、18にして衝撃として出会ったその人と、4半世紀以上の時を経てたんたんと肩を並べてわが嫁坂を越えさせてもらいました。さてさて次なる嫁坂ライブどんな方がこの地に一歩をしるし嫁坂越えをしてくれるのでしょう。
by yomezaka
| 2009-01-22 22:38
| 音楽