2009年 11月 08日
ふすまの下にどじょうが、いるか? |
昨日は半日、旧家から持ってきたふすまの解体作業。
だいたい内側は明治、大正ぐらいの新聞が貼り付けられ、
表面だけが最後に使われていた時代の顔を見せているわけだが、
たまに江戸期の古文書類が下貼りに使われている時があり、
それこそ歴史的事件の連判状なり、隠れキリシタン関係のかきつけ、
文人文客、幕末の志士の書簡が隠匿せねばならなかった理由もふくめ、
謎解きをせまるかのように見つかる事がある。
さて、六枚のふすまを相手にした、昨日の史学的成果であるが、骨折り損んのなんとやらであった。
ただ、明治六年の書付はちとおもしろかった。廃仏毀釈の嵐がようやく収まった時期であろうが、
焼き討ちなどの小西行長の神社仏閣に対する姿勢、仏像が川で見つかった件などは、
明治初年の宗教政策とともに考えあわせると、なかなかの興味深いものである。
これが、秀吉時代、行長が生きている時にかかれ、屏風の中に秘匿され今日、陽の目をみたものだとしたら、
ドキュメンタリーとして一級の資料となったやもしれないが、そうはうまくはいかないようで、
今から夢の跡、ばらばらのふすまを木と紙に仕分けして、明日のごみだしに間に合うよういたしましょう。
だいたい内側は明治、大正ぐらいの新聞が貼り付けられ、
表面だけが最後に使われていた時代の顔を見せているわけだが、
たまに江戸期の古文書類が下貼りに使われている時があり、
それこそ歴史的事件の連判状なり、隠れキリシタン関係のかきつけ、
文人文客、幕末の志士の書簡が隠匿せねばならなかった理由もふくめ、
謎解きをせまるかのように見つかる事がある。
さて、六枚のふすまを相手にした、昨日の史学的成果であるが、骨折り損んのなんとやらであった。
ただ、明治六年の書付はちとおもしろかった。廃仏毀釈の嵐がようやく収まった時期であろうが、
焼き討ちなどの小西行長の神社仏閣に対する姿勢、仏像が川で見つかった件などは、
明治初年の宗教政策とともに考えあわせると、なかなかの興味深いものである。
これが、秀吉時代、行長が生きている時にかかれ、屏風の中に秘匿され今日、陽の目をみたものだとしたら、
ドキュメンタリーとして一級の資料となったやもしれないが、そうはうまくはいかないようで、
今から夢の跡、ばらばらのふすまを木と紙に仕分けして、明日のごみだしに間に合うよういたしましょう。
by yomezaka
| 2009-11-08 12:01
| 古道具